2018/03/22

日本航空123便墜落事故の陰謀について考察します



Canvaより Tom Fisk




目次 読了時間15分




1 事件の概要



1985年8月12日に起きた日本航空123便墜落事故とは、羽田から伊丹に向けて飛び立ったボーイング747が、離陸から12分後、何らかの原因で垂直尾翼が破壊されてコントロールを失い、18時56分に群馬県の御巣鷹の尾根に
墜落し、乗客乗員合せて520名が死亡した航空事故です。

この事件は様々な疑惑が存在し、事件後に事故調査委員会が下した結論である、機体後部の圧力隔壁が破壊し、そこから流出した空気の衝撃波により垂直尾翼が破壊されたとする墜落原因は、機内に急減圧が起きていないことから否定されています。

また、隔壁の破壊が起きていたとしても、そこからの空気流は音速を超えず、尾翼を破壊するだけの巨大な力は発生しないため、現在でも真相を追究する関連書籍が出版されています。


2 数々の疑惑



私は陰謀の存在を肯定する立場にありますが、その理由は圧力隔壁の破壊が信じられないだけでなく、以下の点からも判断しています。


  • 誰一人として刑事訴追されていない。
  • 公式には、なぜかコックピット・ボイスレコーダー(CVR)が公開されなかった。
  • 航空事故調査委員会のメンバーが、中間報告からわずか1ヶ月後に、委員長を含めて2名が任期満了との理由で交代になった。
  • 相模湾で落ちたとされる垂直尾翼の大半が、回収されないまま捜索が打ち切りとなり、後に遺族らが引き上げを強く求めたが実施されなかった。
  • 事故発生当初、嘘の墜落箇所をメディアに伝える指令が出ている。
  • 15年後マスコミに流出したCVRは、一部が改竄されており、意図的なリークだった可能性があること。


他にも、これから挙げていく事実に多くの不可解な点があり、真実は隠蔽されたと考えています。

よって、この大事件を隠蔽できるだけの犯人は、真実から目を逸らすために様々な偽情報を拡散しているはずであり、事件発生当時から今に至るまで、証言や物的証拠も含め、書籍、ネット、専門家などを使って至る所でミスリードをしていると考えています。


3 当時の状況



そのような情報操作がなされていることを充分考慮に入れたうえで、結論に迫っていきたいと思います。


  • 自衛隊の戦闘機が、日航機を追尾していたとの目撃証言が複数ある。
  • 群馬県警発行の「上毛警友」には、低空で飛行する2機の戦闘機ファントムを見た自衛隊員の証言が掲載されている。
  • 公式発表では、この日航機を追尾していた自衛隊機の存在がなかったことにされている。
  • 123便は羽田に戻ろうとしたが、何らかの理由でできなかった。
  • 墜落早々に、自衛隊のヘリコプターと米軍の輸送機は場所を特定し、付近の住民も地元警察に正確な場所を知らせていたが、情報が錯綜し、本格的に救助が開始されたのは15時間後であった。
  • いち早く現場に到着した上野村の猟友会や消防団は、救助の開始を群馬県警によって阻止されたが、近隣に居たM氏が墜落現場に行くと、既に100人ほどの自衛隊員が活動しており、救助をせずに何かを拾い集めていたと証言してる。
  • このM氏は、あちこちで人のうめき声を聞き、50人ほどの乗客が生きていたのを確認しているが、最終的に助かったのは4人だけである。
  • 生存者の落合由美さんも、何人もの「はあはあ」という荒い息遣いを聞いており、さらには「おかあさーん」や「ようし、ぼくはがんばるぞ」という男児の声を聞いている。
  • 別の生存者の川上慶子さんも、墜落後に多くのうめき声を聞き、しかも懐中電灯の光が近付いてきたので助かったと思ったが、そのあと意識がなくなり、次に目が覚めると救助の人は誰も居らず、周りの人たちは皆死んでいたと語っている。
  • 翌日先発の救助隊が現場に入ると、周辺にガソリンやタールの臭いが充満し、火炎放射器で焼かれたような不自然な遺体が存在していた。
  • 後日関係者から洩らされたボイスレコーダーは改ざんされており、緊急信号発信後の123便が、おそらく自衛隊機と交信していた箇所が意図的に削除されていた。


以上を考慮すると、自衛隊が事件に深く関与していると考えられ、それを前提に本当の事故原因を追っていきます。


4 自衛隊が関与していた場合の事故原因



  • 犠牲者の小川哲さんが機内で撮った写真に、謎の飛行物体が写っている。
  • 機体に「ドーン」という衝撃音が発生した後、機長は原因を確かめていないにもかかわらず、僅か11秒後に緊急信号の「スコーク77」を発信しており、謎の飛行物体を認識していた可能性が高い。
  • ボイスレコーダーに残された記録で、海上自衛隊出身の機長らが、緊急信号の「スコーク77」と発した後に「オレンジエア」と続けて交信しており、「オレンジエア」とは、海上自衛隊の隠語で誘導ミサイルや無人標的機のことであり、機体にミサイルが衝突した可能性がある。
  • 事件当日、海上自衛隊の最新護衛艦「まつゆき」が、相模湾で試運転されていた。
  • JAL123便は相模湾上空で異常が発生した。
  • この訓練で使用していた、仮想敵機となる無人標的機のファイア・ビーとチャカⅡが、誤って123便に衝突した可能性がある。
  • ファイアービーとチャカ2はオレンジ色をしており、123便の尾翼にオレンジ色の塗料が残され、事故現場にも落ちていた。
  • 現場で足止めをされていた上野村の猟友会や消防団は、その間ヘリコプターによってオレンジ色の物体が回収されているのを目撃している。
  • ただし、ファイアービーは遠州灘沖でしか使用しておらず、また「まつゆき」の訓練支援艦「あずま」は、当日は呉(広島)のドックに入っており、標的機(ドロン)を飛ばせる状況ではなかった。


これらを総合すると、自衛隊の無人標的機が誤って123便に当たり、証拠隠滅のために動いた可能性が考えられますが、在日米軍の側面から事件を検証していきます。


5 在日米軍が関与している可能性



  • 無線の第一報の内容は、米空軍戦闘機が実弾ミサイルを日航ジャンボ機に命中させてしまったという情報がある。
  • 当時米空軍戦闘機は、日本の民間航空機を敵機と見なし、演習用の模擬ミサイル弾を発射する軍事演習を頻繁に行っていた。
  • 事件当日、遺族が日航の社員に詰め寄って原因を聞くと、米軍が関係しているとの証言や、北朝鮮のミサイルに撃ち落とされたと証言した。
  • 赤いプロペラの付いた物体が畑の上を飛び、それが123便の機体に当たり、爆発したとの証言がある。
  • 墜落直前の機体が、黒煙と炎を上げていたとの証言がある。
  • 墜落現場では、爆発音と共に原爆のようなキノコ雲が現れ、オレンジ色の閃光が走ったという多くの証言がある。
  • 墜落現場付近の長野県川上村に設置されていた微小地震計は、墜落時に起きた三波の振動を記録しており、第一波と第二波は一秒ほどの僅かなものだったが、第三波は約5秒間の大きな揺れが起こり、その後10秒近く振動が尾を引く大きな波であった。
  • 墜落した123便のエンジン付近に、空対空ミサイルの部品が落ちていた証言がある。
  • 現場の地表面では、自然界の数十倍の放射能汚染が明らかになっている。
  • 相模湾での護衛艦「まつゆき」の訓練は、海上自衛隊だけでなく、米軍や軍事会社と共同で行われていた。
  • 123便を追尾していた2機の自衛隊機は、米軍機の可能性がある。自衛隊のファントムは日の丸が付いているようであるが、上空の飛行機を識別することは難しく、しかも日没前後であり、一般人であれば尚更である。後に自衛隊員が証言した「低空」という文言は、敢えて入れたような不自然さがあり、偽装の可能性がある。そもそも過去のファントムは、分かりやすい位置に日の丸が付いていたのか疑問が残る。米戦闘機が自衛隊戦闘機を偽装していた可能性も捨てきれない。
  • 意図的にボイスレコーダーから削除されていた交信相手は、米軍機であった可能性がある。
  • 123便は、横田基地への緊急着陸直前で、なぜか拒否をされた。
  • 事件直後、現場に救助へ向かった自衛隊員数名が何者かに射撃されたニュースがテレビで流れており、後に訂正されたが、実際に亡くなっているとも言われる。
  • 自衛隊員が自衛隊員を撃ち殺すのは不自然であり、先発で活動していたのは米軍だった可能性がある。
  • 在日米軍には、日本語を話せるアジア人を集めた特殊部隊が存在するとされる。
  • いち早く現場に駆け付けたM氏の証言によると、先発で活動していた自衛隊員は、手に大型のアーミーナイフを持ち、暗視スコープを掛けていたが、当時の自衛隊員の装備にはない。
  • 事件後の数年間で、多くの航空自衛隊員や危険を感じていると漏らした隊員が自殺をしているようである。
  • 元JALの社員であった佐宗邦皇氏は、墜落原因を、無人標的機に尾翼を攻撃され、最後はアメリカの戦闘機による空対空ミサイルの中性子爆弾によって撃ち落とされたと結論付けた。
  • また佐宗氏は、横田基地への不時着拒否の決定を下したのは当時の首相・中曽根康弘であり、国民感情が反自衛隊や反米に傾くことを恐れたためと推測している。
  • この佐宗氏は不審死を遂げた。


以上を総合すると、事件後早々に活動していた自衛隊は、実は偽装した在日米軍であり、米空軍機が123便を追尾し、最後に撃ち落とした可能性が考えられる。


6 関係者の不可解な言動



それを裏付けるものとして、行方不明事故対策本部長を務めた群馬県警本部長の河村一男氏が、次のような言葉を発しています。


「事故原因をぎりぎりまで追究すれば、戦争になる」


この言葉が、事件の全てを物語っているように思えます。

河村氏は、先発隊の救助を制止した責任者であり、そこで何が行われていたのか理解したのでしょう。

似たようなことを、事故調査の陣頭指揮を取り、関係者をすべて不起訴処分とした前橋地検の山口悠介検事正も語ったとされています。

当時の運輸大臣であった山下徳夫氏も、


「日本は何でもアメリカの言いなりだからね」


と語っており、すべてが米国主導で行なわれたことも判明しています。

罪を被ることになったボーイング社も、自衛隊のミサイルという外的要因が疑われるなら、徹底的に調査して闘うはずですが、それをしませんでした。

全日空機羽田沖墜落事故では、一切自社の過失を認めなかったボーイング社ですが、このときは早々に原因は過去に起きたしりもち事故時の修理ミスだとし、それを認めてしまいました。

過去の対応と比較してもそうですが、訴訟社会である米国の企業としては実におかしな対応を取っています。

実際JALなどの日本側から、ボーイング社に対する損害賠償訴訟は起こされていないようです。

高圧的な米国政府さえも、自国の企業を守ることはせず、事故原因を後部圧力隔壁説へ誘導するように本国のマスコミに伝えていたことも奇妙です。


7 自衛隊の誤射があり得ない理由



陰謀論の中では、相模湾の演習で使用していた自衛隊の無人標的機の誤射が原因であり、自衛隊が隠蔽工作を主導したとする説が大勢を占めていますが、今までの検証と以下の点から有り得ないと考えています。

123便に異常が起きたのは18時24分で、墜落時刻が18時56分です。

この32分という短時間に、相模湾にいる自衛隊が、高度7,200mの上空を時速740Kmの速さで飛ぶ飛行機を特定し、123便の事故状況を確認し、現場の責任者から制服組のトップや防衛庁長官に情報が行き、総理大臣の中曽根まで連絡が到達し、中曽根が飛行機を撃ち落とすという重大な事項を即断し、早々に自衛隊に追撃を指示し、米軍にも手を回して横田への着陸を阻止し、直ちに現場へ自衛隊員を投入できたとは考えられません。

普通に考えても不可能で、急に起きた事象にこれだけ早く対応できたとは到底考えられず、相模湾に米軍や軍事会社がいたならば、スムーズな意思決定のできる状況ではありません。

それに、最後には航空機をミサイルで攻撃し、さらには生存者を殺害するなどは考えられない措置でしょう。

そもそも、隠蔽にボーイング社が協力してくれるかも分からない状況であれば、まずは懸命に助ける道を模索するはずです。

そして、羽田や横田に着陸できる状況であったならば、それを阻止する理由など、どこにもありません。



8 偽装工作と考えられる米軍の救難ヘリ



米軍の救難ヘリが、座間から現場に到着して救助活動に入ろうとしたところ、現場から退去を命じられ、これについては口外するなと厳命されたという証言が後から出てきていますが、これはアリバイ作りの偽装工作の可能性があり、東日本大震災でも、偽装工作と思われるアメリカ側の要請がありました。

東日本大震災は、三陸沖の海上を巡回していたアメリカの空母ロナルド・レーガンの乗組員の被ばく状況が、福島原発の直近にいた東京電力関係者と比較すると明らかにおかしく、その他にも様々な理由から、自然の地震による災害ではなく、戦前から存在する兵器としての人工地震によって起きたと考えられ、その詳細は、当ブログの記事「東日本大震災は人工地震によって起きたと考えられるいくつもの理由」に記しましたが、311では、海水の汚染を偽装するためと考えられる、原発の汚染水を海に捨てさせるアメリカの要請があり、JAL123便のこの救難ヘリが退去を命じられた件も、アメリカ側の事件への関与を偽装するためと考えられます。


9 アメリカが用意周到だった数々の証拠



先ほど述べたように、123便は過去に機体尾部が滑走路と接触する事故を起こしており、このときの修理ミスが、後部圧力隔壁を引き起こしたと最終的に結論づけられましたが、この便を狙い撃ちにしたと考えれば辻褄が合います。

また123便に、危険となる多量の医療用ラジオアイソトープ(放射性同位体)が貨物として積載されていたのも、救出の時間を遅らせるためや、中性子爆弾の放射能汚染を隠すために、計画的に積んでいたと思われます。

当日行われていた相模湾の演習も計画通りであり、陰謀を疑われた時のために、自衛隊へと罪をなすりつける保険であったと考えられます。

つまり、日本の関係者の不可解な言動、訴訟社会アメリカの企業としては考えられない対応、日本はアメリカの言いなりであったにも関わらず、なぜか自国企業を守らなかったアメリカ政府の対応なども考慮すると、アメリカ側が事件を仕組んでいた可能性が考えられます。


10 アメリカの真の目的



では、なぜアメリカは日本の民間航空機を撃ち落とすような暴挙に出たのでしょうか?

ネットでは複合的な説が唱えられていますが、最大にして最高の目的は、以下であったと私は考えています。


それは、松下電器に在籍する、日本産OS・B-TRONを搭載したパソコンを推し進めていた関係者を葬り去るためです。


その根拠は、アメリカがインターネットを民間に開放した理由と密接に関わっているからです。

この事故で松下は、社員17人だけでなく、家族を含めると総勢24人を失うことになりました。

その中でも、前年に山下社長肝入りで発足した、コンピューターのOA化を図るシステムエンジニアリング本部は、幹部3人を亡くして痛手を被りました。

アメリカの目的は、B-TRONパソコンの日本国内浸透に携わる関係者の抹殺と恫喝であったと考えています。

その理由は、アメリカが軍事技術として確立したWWWを、なぜ民間に開放したかに深く絡んでいるからです。

その詳細は、当ブログ記事の「軍事技術として確立したインターネットが民間に転用された三つの隠された理由」に譲りますが、ここまで突っ込まなければ、JAL123便の事件は全貌が見えてこないと思います。


11 他の撃墜理由と偽情報を流布する者たちの暗躍



その他の陰謀説として、


  • プラザ合意を調印させるため、円安に反対していた関西の財界大物4人を全員抹殺し、総理大臣の中曽根康弘と蔵相の竹下登を脅すため。
  • グリコ森永事件の実行犯を殺害し、証拠の隠滅を図るため。
  • JAL123便に核兵器が積まれていることをアメリカに突き止められ、証拠隠滅のために自衛隊機が123便を撃ち落したため。


が挙げられています。

まずプラザ合意に関しては、当時財政赤字と貿易赤字の双子の赤字で苦しんでいたアメリカにとって、円高ドル安に振れることで日本への輸出を有利に進め、またドル建ての対日債権を目減りさせる目論見はあったと考えられ、さらには、円高による日本企業の海外進出、中国の成長による日中対立の促進、日本の産業の空洞化、バブル、そしてその崩壊まで計算に入れていた可能性はあり、墜落事故1ヶ月後に開かれた蔵相・中央銀行総裁会議で、有無を言わさず調印させるための脅しであったことは確かでしょう。

グリコ森永事件の実行犯は不明です。

核弾頭の輸送に関しては、明らかな嘘でしょう。

戦後の日本に、核を所持するほどアメリカに楯突くことのできる政治家など居らず、そもそも核は内外に所持を表明してこそ抑止力があるのであり、また、核や戦争アレルギーのある日本国民に洩れたらただでは済まないことぐらい誰でも分かるはずで、そもそも民間機で運ぶ理由も不明です。

さらにこの核弾頭を巡る話では、自衛隊機が偵察にきたNSA機、米戦闘機、ロシア戦闘機を撃ち落し、さらに味方の自衛隊機も撃ち落したという荒唐無稽な説を、物的証拠と共に唱えている陰謀論者がいますが、馬鹿げた嘘でしょう。

少し考えれば分かりますが、プラザ合意の陰謀を主張するならば整合性が取れず、一般人の目撃証言も違い、また山下運輸大臣の語った「日本は何でもアメリカの言いなりだからね」の意味や、与えらえれた時間を考えれば有り得ず、戦闘機の残骸である物的証拠は紛い物でしょう。

これも、中性子爆弾の放射能汚染を隠蔽する工作の一種であり、どうしても自衛隊に罪を押し付けたい勢力がいることの証であり、陰謀自体が疑われるように仕向ける工作の一種でもあるでしょう。

事件の真相は単純で、アメリカが用意周到に事を運び、日本は手も足も出せなかったのでしょう。

残念ですが、戦後の日本は、アメリカを支配するディープステートにめちゃくちゃにされているのが実情です。


12 テロの95%はCIAの指揮と語ったロシアのプーチン大統領



日本だけでなく、世界も同じように引っ掻き回されており、事実プーチン大統領は、世界で起きているテロ攻撃の95%がCIAによって指揮されていると語っています。

中曽根康弘は、ダグラス・グラマン事件やリクルート事件などで捜査の手を逃れているので、恐らくディープステートの息のかかった政治家だと思われ、また日本には本事件の隠蔽に加担するディープステートの手先が跋扈しているにも関わらず、それに気が付かない日本人が大半で、亡国への道を突き進んでいます。


13 自己の責任を果たそうとした立派な乗務員たち



ただし、この事件では懸命に自身の責任を果たした人たちがいました。

機内アナウンスを担当していた対馬祐三子さんの残されたメモには、不時着を想定した内容がびっしり書き込まれ、最後まで乗客のために尽くしていたことが分かります。








死を覚悟した何人かの乗客が、家族へのメッセージを残していますが、彼女のこの走り書きのメモに家族へのメッセージはなく、この緊急時にも自身の持ち場を必死に全うしています。

彼女だけでなく、他のJALの社員も同様だったことでしょう。

生存者の一人である吉崎博子さんの証言にも、真っ逆さまに墜落しているときでさえ、近くにいたスチュワーデスが「大丈夫ですから、大丈夫ですから」と励ましてくれたとあります。

そして、高濱雅己機長は、墜落寸前の極限状態に置かれていたにも関わらず、


どーんといこうや


というセリフを吐き、周囲を励ましています。


あーだめだ

どーんといこうや


がんばれ


この声に悲愴感はなく、どうにかソフトランディングし、乗客の命を救おうという意志が感じられます。

最後まで最善を尽くし、諦めなかった人たちがいたことを、我々は忘れてはなりません。

そして実際には、墜落後多くの生存者がいたことから、高浜雅己機長、佐々木祐副操縦士、福田博航空機関士たちは、緊急着陸に成功し、乗客を救っていたのです。

しかしその後、生存者の3人ともが、


「意識がときどき薄れたようになる」

「意識が消えたり戻ったりした」

「うとうとしかける」


と話しているように、緊急着陸後に何かがあったと思われます。



14 残された日本人の果たすべき役割



残された我々は、彼らの死を無駄にしないため、真の敵を見定め、その協力者を排除していかなければならないでしょう。


「524人の命乞い」という一冊の書籍があります。この事件で身内を亡くされたご遺族が書かれたものです。

本の内容は、不自然なほど自衛隊に罪を擦り付けていたため、論拠を持った私の説を伝えるため、遺族の会である「8・12連絡会」で接触を試みました。

ご遺族なら真実を知りたいと思うはずで、新たな視点や新発見を快く受け入れてくれると思ったのですが、連絡がありませんでした。

残念ですが、この本はご遺族が執筆されていない、もしくは何らかの理由で、事故の原因を自衛隊になすりつけていると結論付けざるを得ませんでした。 

著者が本物の遺族であり、そして心から真実と真相を求めておられるのであれば、誰の主張であろうと、この理不尽極まりない事件を解決したいとする想いに耳を傾けてくれるはずです。

また、元日本航空の客室乗務員とされる青山透子氏という方も、不自然な自衛隊犯行説を盛んに唱え、何冊も本を出していますが、論拠を持ったこの記事を参照してほしいと思います。

我々日本人には、偽の物的証拠まで持ち出して本事件の隠蔽に加担するような者たちを炙り出し、糾弾していく責任があるはずであり、それを果たすまでは本当の戦後は終わりません。

機長を初めとして、極限で見せてくれた日本人の底力を発揮すれば、必ず浄化を果たせるはずです。






2 件のコメント:

  1. カッコイイです!
    ぜひ心ある人皆で戦おうじゃありませんか!

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    1. aosanさんへ。
      少しずつしか変わらないかもしれませんが、頑張りましょう!

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